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蓮見清一TEVIS CUP 8回連続完走の記録。

蓮見清一TEVIS CUP 8回連続完走の記録。
2003年――1回目 2003年7月12日

ケーシー号騎乗 走行時間19時間55分  22位 完走者74名、完走率49.3%

「アラビアン・ホースに乗って」(AHRショップで販売中)に記述。(ご参照ください >>)
10月30日:カメオの出産。花子誕生。
2004年――2回目 2004年7月31日 第50回TEVIS CUP RIDE

ベイダル号騎乗 走行時間19時間29分  35位 完走者29組、完走率53%

「美しい馬と生きて」(AHRショップで販売中)に記述。(ご参照ください >>)
2005年――3回目 2005年7月23日

カメオ号騎乗 走行時間19時間33分  30位 完走者85組 完走率43% 

「美しい馬と生きて」(AHRショップで販売中)に記述。(ご参照ください >>)
大会直前に同行者の蓮見明美が、脳梗塞発症。
2006年――4回目 2006年8月5日

ベイダル号騎乗 走行時間21時間35分  71位 完走者87組 完走率45%

初めてのスタート、グループ分け。足裏チェックの重要性を痛感した大会だ。日本からは中馬、宮本の2氏参加。私が、脳梗塞で倒れた翌年の大会だ。
2007年――5回目 2007年7月28日

シネル号騎乗 走行時間20時間38分  37位 95組完走 完走率52%

シネルとの出場。スニーカー・シューのトラブル。


2008年7月25 TEVIS CUP開始以来53年の歴史で初めての開催中止決定

実は、この年、騎乗する馬がいなくて、マレーシアの世界選手権で知り合いになり、ここ2年TEVISで活躍しているジョン・クレンドルから馬を借りることになっていた。
2009年――6回目 2009年8月1日 

カメオ号騎乗 走行時間19時間14分  15位 87組完走 完走率51%

6回連続完走、Reveとの走行。低血糖の兆候が出てきたが、まだ事態の深刻さに、われわれは気づいていない。
2010年――7回目 2010年7月24日

ゾルタン号騎乗 走行時間19時間45分  23位 93組完走 完走率51%

ゾルタンとの完走。体調の悪さを忍耐心と根気で克服。


2011年7月25日 「テヴィス・カップ・ライドは10月8日に延期

異常な寒さと残雪のために大会を10月開催に延期することが決定された。
結果的には、出発地点のロビーパークでは、10月に降雪があり、出発地点として使用できない事態となり、何のための延期だったのだと揶揄されていたのが印象的だ。
2011年――8回目 2011年10月8日

シナモン・ローズ号騎乗 走行時間14時間45分  123組完走 完走率69.5%

8の8と2の2
AHRの2名の完走。フォレストヒルの折り返しコースという、急遽のコース変更。



テヴィスカップに関連した「エンデュランス通信」
2006年8月28日付「52回Tevis Cup報告」

2006年8月5日午前5時15分スタート
出発地点のロビー・パークでは珍しく、前日の夜、雨が降った。これは予測もしていなかったことだ。湿り気があるのはありがたいが、多い雨は足元を悪くするのではないかと心配だ。

参加人馬196組、これを3つのグループに分ける、という方針が、大会直前に決定した。
スタート時の混雑と狭い道での長時間の待機による混乱を回避するために、大会関係者が決定した。4回目の挑戦の蓮見は、今回は何とかトップ10以内でスタートしようと、関係者と調整をしてきた。ところが、突然の方針変更に戸惑い、第2グループにグループ分けされていることを知り、大きな失望を味わった。昨年、今年のAERCの参加記録を参考にした区分けだという。これでは、海外からの参加は不利だ。第2グループではスムーズにスタートしても、70番目以降だ。蓮見の自馬は、まさしく昨年のTevis Cupスタート時の混乱の中で、他の馬に胸を蹴られ、筋肉断裂のため、長期間の治療が必要となり、今年は参加できない。このため、何かあるとリースをお願いしているピーター・リッチ牧場のおなじみのベイダルで参加だ。ベイダルの体調はよさそうなので、何とか先頭に出るようにと、早いスピードで走った。第一の強制休止ポイントであるロビンソン・フラットに入ってきたのは40番目くらいだ。かなりの人馬を追い抜いてきた。しかも、獣医検査に連れて行く時点で4頭を追い抜いた。ベイダルの心拍の落ちは早い。

1時間の強制休止後、再検査に連れてゆくと、歩様検査で若い獣医が頭をかしげている。遠くから見ていると何がおきているのか分からない。足の裏を確かめ、再度歩様検査をしている。見ている限り、何がおかしいのか分からない。しばらくすると、“I’m sorry”と聞こえる。『何?失権?嘘でしょう』 離れていると事態が良く分からない。ベイダルとクルーと蓮見は別の方向に行ってしまう。治療場所に連れて行くのか?がっかりして、ベースキャンプに行くと、ピーター・リッチグループのクルーの人から中馬さんに失権だということを通訳してほしいと頼まれる。体調がよくないからあまり遠くなければOKと言い、出かける。

あちこちとベイダルと蓮見を探すが、どこにいるのか分からない。ゴール確認場所のデスクに行くと、中馬さんが来て話を聞くと、若い女医の獣医さんが”OK,very good“と言ったそうだ。嬉しくなって、その女医さんと握手をしたのに、係官が失権と言うのは納得できないと言う。その気持ちは良く判るなと思いながら、何となく、「ハスミは失権みたいなのです」と説明していると、知らないアメリカ人が、「いや、蓮見さんはミシガンブラフに向かってスタートしましたよ。失権のはずがありません」と言うではないか!私は興奮して、「本当ですか?間違いないですか」と何回も確認し、中馬さんに「ともかくベースキャンプに戻りましょう、」と声をかけ、急いで戻る。間違いない、再スタートしたようだ。後から事情を聞いてみると、若い獣医は「何かおかしい気がするが分からないので、検査場の獣医さんに見てもらってくれ」と言ったそうだ。一昨年の獣医団長のジェイミー・カー氏のところへ行ったが、別に問題はない、出発してよろしい」と言うことで、若い獣医の診断を書き直すように指示を出し、細かく注釈を書き入れてくれたそうだ。それやこれやで、予定の出発の時間を優に30分は過ぎてしまった。これは大きな損失だ。しかも、ゆっくりと馬の脚に負担のないように行くようにとの指示も受ける。

蓮見は気持ちは急いでいるが、「大事をとって、完走しよう」と気持ちを切り替えて、引き馬で傾斜の厳しいスイッチバックの渓谷の中に足を踏み入れ、再スタートを切った。ロビンソン・フラットに10時半に到着したので、11時半の出発の予定が12時を過ぎている。ゆっくりとウオーキングで進むが、暑くなってきて、速足で風を受けることができないベイダルはご機嫌斜め。ちっとも進まない、仕方なく清一は下馬して、手綱を引き綱にして、走る。この間の北軽井沢でのトレーニングがこの苦行を耐えさせた。騎乗して速足で進んでいく人馬にはどんどん抜かれてしまう。どこのベトチェックでも,足は問題なくパスしていく。ロビンソン・フラットでの30分のロスはつらい。ようやく、ミシガン・ブラフに到着したのが6時52分。制限時間は7時だ。危うくカット・オフ・タイムに引っかかるところだった。清一は、一度も制限時間ぎりぎりという事態に直面したことがないので、制限時間が念頭になかった。ここで初めて制限時間を知らされ、あわてた清一はミシガン・ブラフからフォレストヒルに向かう。クルーのクリスはベイダルは大丈夫だから走らせろと言う。しかし、ここまで来るのもリラクタントだったベイダルは走らない。フォレストヒルに8時19分に到着。直ちに心拍OKだ。問題の歩様検査も順調にパスした。これは嬉しかった。制限時間11分前通過。着替えを済ませ、馬の脚ではなく、ライダーの足も冷やして、あっという間に出発の時間だ。外はすでに真っ暗で、見物客も殆どいない。例年と同じく、灯り一つ、グロースティックなしで出発した。

問題は、フォレストヒルを出たところで、コースが変わったことだ。さて、コースに良く慣れているベイダルがはたと立ち止まってしまった。清一もどちらに行っていいのか分からない。丁度そんな時、全身に明かりをつけ、馬の前後にもグロースティックをふんだんにつけた女性「電気おばさん」がやってきた。道が分からず引き返してきたと言う。どちらに行くのか二手になって探していると5人組の女性の集団と会った。こちらだと教えてもらい、電気おばさんとともに5人組の後ろにつく。ところが困ったことに、この5人組はゆっくりと歩いている。「カット・オフ・タイムは分かっているのか?」と声をかけると「分かっている」「速足で行くか、追い抜きたいので道を譲れ」と言うが、気の強い女性グループは「自分はオーバーンの出身でこのコースは良く分かっている。速足で行ったり、追い抜くなどということは自殺行為だ」と譲らない。困っていると、後ろから「ハスミさーん」と声が聞こえ、追いかけてくるライダーがいる。良く見てみると、何と行方不明になったケーシーの元持ち主のリックだ。初めてのTevis参加だと言う。「完走したい。」という利害が一致し、追い抜くためにリックをけしかけて、5人組と交渉させる。何とか、5人組が納得し、リック、蓮見、電気おばさんの3人は5人組を追い抜き、速足でフランシスコを目指す。

電気おばさんは男二人のスピードについてくるのが大変そうで、どこからか見えなくなってしまった。この後半のコースを熟知しているリックですら、懐中電灯を持って、道を照らしている。フランシスコに到着すると、リックのクルーがたくさんいる。これには驚きだ。フランシスコ到着が午前1時24分。カット・オフ・タイムの21分前だ。かなりがんばってきた。ここからは、リックとの二人三脚。行方不明になったケーシーが導いてくれたのだろう。ノーハンズ・ブリッジを渡り、もう一息。ゴールの明かりがうっすらと遠くに見えてきた。午前4時50分。ゴールにたどり着いた。早速、ステージング・アリーナに行くように促される。橋を渡る前の道路の交通整理はロクサーヌさんがやっている。かなりの年配になられるが、大富豪のロクサーヌさんはジュニアの育成から交通整理のような裏方作業まで携わり、頭が下がる。

ウイニング・ランの前に獣医検査(心拍・歩様)もOKで、ウイニング・ランとなる。今までとは違い、観覧席は空席ばかりで見物人もまばらだ。196人馬参加、87組完走、その中での順位は71位であった。優勝は、東部地区からやってきたジョン・クランデル氏とヘラルディック号で、ハギンス・カップも受賞した。クランデル氏は蹄鉄師だそうだ。 表彰式では、理事長がわざわざ、蓮見のTevis Cup挑戦が4年連続で、4回連続完走を紹介した。これには、多くの参加者から賞賛の声が起きた。

フォレスト・ヒルでの獣医検査風景 蓮見のウイニング・ランを出迎えるハル・ホール 表彰式で4of4と紹介される蓮見
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日本人ライダー3名勢ぞろい。中馬さんと宮本さん。 ロビンソン・フラットに到着した蓮見
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2007年8月8日付「Tevis CUP 5の5」

5回連続完走を目指してTEVIS CUPに挑戦、無事完走しました。順位は37位とまあまあですが、今回は本当にスリリングな挑戦でした。騎乗馬はシネル。昨年カナダ選手権にともに挑戦。シネルの涙の出るような闘病記は、HPに詳しく書いてありますから、読んでいただくとして、ようやくシネルはTEVISに挑戦できるようになりました。ここまで回復するのに5年の歳月が流れています。
テヴィス用の騎乗馬として購入したシネルは、購入直後卵巣腫瘍を発病、卵巣の摘出をしないでホルモン治療で1年間経過を見ることにしましたが、翌年の春に反対側の卵巣に腫瘍ができ、やむなく卵管の部分を結ぶという手術をしました。ようやく、購入後3年目にはシネルでテヴィスに挑戦できると期待したところ、ナビキュラという骨の病気になりました。私たちはナビキュラボーンの病気と聞くと、その馬のエンデュランス生命は終わりだと覚悟するのですが、なんと、昨年の9月に奇跡的に回復しました。
トレーニングのために前日、シネルに騎乗し、ホール夫妻と打ち合わせを行いました。ハルは、2002年にTEVISを走っているシネルを間近に見たことがあるそうで、シネルの足捌きのうまさはすごいものがある、シネルを先頭にして、3頭でコースを走ろうとの提案をしてきました。スタート直後の岩だらけの足場では、馬の足捌きのうまさは非常に重要なことです。
このような長い経過があって、今回清一は初めてシネルでテヴィスに挑戦しているのですが、調子よくゴール近くまで来たと見えますが、第1回の強制休止ポイントのロビンソン・フラットで、クルー・スタッフ全員が絶望するような状況になってしまいました。私自身、シネルがこのような状態であれば、完走は難しいかもしれないとの覚悟をしました。
ロビンソン・フラットまでの途中、足場の悪いライオン・リッジで、シネルの蹄鉄が取れてしまうというハプニングがあったそうです。HPでもわかりますようにシネルの蹄鉄は治療のため、「スニーカー・シュー」という特殊なもの――卵形で、ゴムでできておりクッション性がある――ですが、落鉄すると足の高さが極端に違ってしまうので、走りにくくなり、馬は、は行してしまいます。清一にとって、TEVIS CUPの大舞台で、落鉄は初めての経験です。スニーカー・シューは見ても分かるとおり、厚さがあり、この厚さにシネルは慣れていなかったのでしょう。岩場との厚さの計測勘が誤ったのでしょう。足捌きがうまいとハルから聞いていたわりには、良くつまずいたそうです。この厚さが原因で落鉄したものと思われます。とりあえず、蹄鉄師のいるところまで、なんとかたどり着けるようにイージーブーツを履かせます。ところが、このイージーブーツが原因でシネルは滑ってしまい、崩れ落ちるように両膝をついてしまったそうです。スニーカー・シューとの高さが違い、違和感は大きかったのでしょう。両膝は血まみれの怪我で、ロビンソン・フラットに着いたときは怪我のあまりの痛さにシネルの心拍も落ちないという厳しい状況だったそうです。クルーの手厚い看護で、なんとか獣医検査を通過し、次に進みました。驚くことは、痛さはともかく旺盛な食欲があったことが救いになりました。

困難な状況になったときの清一は豹変します。何が何でも、この困難な状況から脱却する。シネルの調子を良くするとの決意も新たに、彼の再挑戦が始まります。次の強制休止ポイントであるフォレストヒルで会った清一に言わせると、「完走したいという執念がシネルにはある、彼女は自分の晴れ舞台を知っている。痛さがなくなると、とにかくがんばる、もっと前に行きたいという執念がありありと 感じられる」と言っていました。過去に1回TEVIS CUPを完走したときのことをシネルは思い出したのでしょう。
後半のシネルの走りは、前半の事故・怪我が嘘のように、力強く元気だったそうです。でも、下り坂で滑って転び、痛い思いをしたので、後半でも下り坂になると慎重に ゆっくりと歩いたそうです。利口ですね。同じ間違いをしたくないという気持ちがよくわかります。 午前3時半前、清一・シネル組は元気にゴールに到着しました。ウイニング・ランも軽快な走りを見せてくれました。獣医検査の結果も、Gait(歩様)とSkin(つまみ)がB、ほかはすべてAでし た。おなかをすかせ、水をがぶがぶ飲み、干草をむしゃむしゃとやっていました。 183人馬が出走、95組が完走。
1位は、私どもにとってもなじみの深い、ジェレミー・レイノルズとCVEli号。優勝タイムは14時間28分。2位は、昨年のTEVIS CUP優勝以来、世界中で活躍中のジョン・クレンドルとHH  Sabb Shams号。期せずしてお二方のお仕事は蹄鉄師です。清一・シネル号にとって、蹄鉄が如何に重要であるかを知らされた大会であることも皮肉な結果です。清一・シネル号の完走時間は20時間9分、37位という結果でした。今回の表彰式は、順位の最後のほうから、完走賞のシルバー・バックルを渡してゆくと趣向を変えていました。清一の紹介、「Five for Five」との声に大きな拍手が起きたことは言うまでもありません。
折り返し地点に到着しました。ここから、もう一度初心に帰って、連続完走10回、10個のバックルを目指すと清一は決意を固めた模様です。

フォレストヒルで獣医検査中のシネルと清一。シネルの膝に塗った薬が白く見える。 フィニッシュ・ランの模様 ジェレミー・レイノルズとCVEli号
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ジョン・クレンドルとHH Sabb Shams号 文脈と関係ありませんが、大きくなってたくましい「はなこ」とトレイナーのマーク
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2008年7月10日付「TEVIS CUP開始以来53年の歴史で初めての開催中止決定」

カリフォルニア州の山火事が猛威を振るっているというニュースが時々BS放送をにぎわしていましたが、TEVIS CUPのトレイルに多大な影響を与えていました。すでにTEVIS RUN(100マイルのコース・マラソン)が中止されていましたが、10日に中止決定が下され、連絡が来ました。渡米準備中でしたが、気が抜けてしまいました。

状況は、煙の影響、大気汚染がはなはだしく、人馬の健康への影響が一番心配されていました。一方では、安全と思える一帯でも、風の吹く方向の変化、勢いの変化により、類焼、延焼がありえるという一触即発の状況のようでした。実際のところ、TEVIS CUPのトレイルにはDEAD WOODと命名されている地帯があり、枯れ木のまま立ち枯れている木々で山が覆い尽くされている地帯もあり(これは何年前の山火事の結果であるのかは知りませんが・・・)ます。
2009年8月9日付「2009年Tevis Cup参戦実況報告」

7月31日
12時にオーバーンを出発。今年は、州間高速道路の80号線の道路工事で渋滞が予想されるとのことだったが、思ったよりも早く午後2時前には出発地点のロビーパークに到着。ロビーパークは、全体に、かなりゆったりとした雰囲気だ。
総エントリー数は174人馬。
ライダー登録をまず済ませ、カメオの到着を待つ。カメオ到着直後に引き馬をする。カメオの元気のよさは変わらず、ハルが知人と話している間に清一はカメオを獣医検査場に連れて行く。獣医の前でも大きな声でいななき、じっとしていない。歩様検査でも、引き綱を持つ清一の周りを飛び跳ねるといった状態。カメオは興奮していたせいか心拍が56と高く、歩様検査後の心拍は48。何なんだ、これは。今日のロビーパークは涼しく、馬にとってはありがたい天気だ。
午後7時からのライダーズ・ミーティングでは、今年からカップ・コミティー(Cup Committee)という組織ができて、ルールをきちんと守り、馬のウエルフェアーを重視し、その上で、BC賞であるハギンズ・カップ審査の責任をこの委員会が担うようだ。日本から研修に来ている斉藤獣医のTevis Cup への獣医アシスタントとしての参加は、カップ・コミティーのボス、ジェイミー・カー獣医が引き受けてくれた。斉藤獣医はカー獣医と一緒に重要なポイントを周ることになったようだ。
今年の大会は、ジュリー・シャー夫人に捧げる―――大会となっているが、彼女はTevis Cupの完走賞であるシルバー・バックルを22個持っており、10回連続完走という偉業を達成している。バックルの数はジュリー・シャー夫人が3位、1位がバーバラ・ホワイトさんで29個のバックルを持っている。バーバラはジュリーの娘だから、ジュリー・シャー夫人がTevis貢献者と言われる所以だろう。なお、2位がハル・ホールの26個である。バーバラが62歳だから、ジュリー・シャー夫人の年齢は80歳以上である。今回の大会でも、各所で、そのお元気な姿を見ている。バーバラ・ホワイトさんは今年も完走している。バックル数30個になったのだ。
ハル・ホールは、今年はじめに腰を痛めた上、騎乗する馬がいない。そのハルに対して、「パパはTevisに出場するべきだ」と家族が圧力をかけたそうだ。家族の後押しで、重い・痛い腰を上げ、馬を探し始めたハルは、すぐに「これ」と思う馬を見つけた。それが、今回ハルが騎乗するDream on(通称Reve―――フランス語でレブ、意味はDream)だ。 4月に開催されたGit-R-Doneで優勝し、160km挑戦人馬のうち、唯一CoCを取得した馬(Dreamm on)が売りに出ていたとの話だ。
ボーガス・サンダー以来久しぶりのゲルディングに喜ぶハル。しかし、腰の痛みは変わらないようで、元気が無く清一は心配している。自分が足の痛みに苦しんできたので、ヒトゴトではないようだ。自分が医者に調合してもらった痛み止めを分けて、痛みの具合を当日も確認している。

8月1日
午前3時。予定通り起床、準備。心配していたほど寒くはない。矢口君が4時ごろ、車にやってきて、「カメオが一晩中、もしゃもしゃと干草を食べ、ぴしゃぴしゃと水を飲んでいた」ので、睡眠不足で眠れなかったとぼやいている。その話を聞いて、彼が気の毒でもあり、それ以上にカメオの元気さがうれしく、心配でもあった。その心配は的中。馬装がすんでもカメオは落ち着かず、清一が騎乗するとき、今にも腰が砕けそうなほど不安定な動き方をする。清一がカメオの下敷きになるのではないかと、思わず私が悲鳴を上げてしまう。清一は平然としたもので、出発ゲートに向かう。午前15分、第1ペンの出発時刻だ。無事な出発を祈る。
5時半までは、馬の安全の確保のために、どの車もロビーパークを出ることができないので、5時半になると一斉にエンジン音と車の行列となる。我々は、次の強制休止ポイントであるロビンソン・フラットには行かず、2隊に分かれてフォレスト・ヒルに直行するため、5時40分、車が少なくなったところで出発。8時には到着。この記録付けをはじめる。
現在時刻がアメリカ時間の午前10時10分。ボードに結果を見に行くと、ちょうどレッド・スターリッジ(第1のゲート・アンド・ゴー地点)のタイムが発表された。おなじみのポテトがトップで8時23分到着。まさか清一が一緒のはずはない。清一は、ハルと一緒で8時56分16-18番目当たりだ。順調だ。このペースで行くと、ロビンソン・フラットには、10時45分ごろ着くだろう。
今、無線機のある場所で確認してきたところ、169名がスタート、第1CPのレッド・スターリッジ・ポイントで5組がプルされた(失権した)とのことだ。

米国時間12時、経過を記したボードをチェックに行くと、ハルと一緒に10時52分にロビンソン・フラットを出発している。順位は10位くらいだ。丁度ゲーリーがロビンソン・フラットから戻ってきた。清一・カメオ組のゴールは47分、クーリング後のインは52分だったそうだ。快調なペースだ。私が作った目標時間を記載したカードが本物になってきた。

午後2時。再びボードチェック。12時28分にハルと一緒にLast Chanceに到着している。同じ時間に4名、29分に1名が到着。私のカードよりも速い。今この時間にはDead Woodにたどり着いているだろう。暑さがどんどん激しくなってくる。

3時5分。ボード情報によれば、Dead Woodで、ハルと清一は別々にゴールしたようだ。ハルが、1時53分到着、清一が2時5分到着だ。
ハルと別れたのが気になる。清一に足の痛みが出たのか、あるいは、カメオに何かあったのか。詳しくボード情報を自身で見に行くと、ハルと清一の間には10人近くがいる。やはり痛みが出て、清一は馬を下り、引き馬にして、ハルに「先に行ってくれ」と言ったのだろう。ここで痛み止めの薬を飲んだのだろうか。これからミシガン・ブラフ,そしてフォレスト・ヒルまでの13キロ、歩くのは無理だ。カメオが黙っていない。

4時過ぎにハルがそろそろ入ってくる可能性があるから迎えに出ようということになり、準備をしていると情報が入ってきた。情報は嬉しいものだった。「ミシガン・ブラフには二人で到着し、二人とも元気そう。ただし蓮見のタイツが大きく裂けていた。が、事情を聞く暇はなかった。トップの人はぶっちぎりの速さで進み、ハルと清一は14、5位でのスタートだった。」とのことだ。よかった。清一の足の痛みは出ていない。
これで、フォレスト・ヒルの迎えも楽しみになってきた。5時ちょっとすぎに二人が入ってきた。二人とも快調そうだ。今回は、クールダウンのために下馬して心拍を落とすやり方をとらない。そのまま速足でゴール。私は、かなり前方に迎えに出ていたので、クルーのメンバーは駆け足。私には追いつけないと最初からあきらめる。
10分にゴール、ベトイン後の獣医検査が3分後には2頭とも終了。清一にDead Woodでの遅れの事情を聞いてみると、カードの時間よりも早く進んでいたので、無理をしないようにと考え、常足にしたそうだ。事情を聞いてみると、心配のしすぎは身体によくない。1時間の強制休止後、6時14分にスタートを切った。ここからは、ハルが得意な夜間ライドだ。清一も夜間ライドはひるまない。

我々も、すぐにオーバーンに向けて出発。キャンピング・カーをアリーナの駐車場に置き、ホテルに戻る。ホテルで早速インターネットに接続、確認したところ、フォレスト・ヒルの出発時点でハル・ホール10位、清一11位だ。この後の実況中継は後ほど。というのも、そろそろゴール地点に行かなければ。私のカードでは、ゴールの予定時刻は10時半頃だが、ハルはこのコースに慣れていて夜に強い。ハルが本気で勝ちに出たら、9時半頃になる可能性があると思った。到着時刻は、「アップ・ツー・ハル」だ。 来てくれればいいが。

早速アリーナに行くが、アリーナではイベントをやっていた。馬車に希望者を乗せて、アリーナを回っている。司会者が、ぶっちぎり1位で走行していたライダーがLower Quarryで失権したと大声で叫んでいる。清一は、斉藤君が次のように言っていたと私に話していた。「あの1位のライダーの馬は危ないですよ。いつ落ちてもおかしくない。」と。この失権してしまったライダーは女性獣医だ。Tevisでは、女性獣医が強い。小柄で、馬の体調に詳しいのだから当然か。
フランシスコの到着時間が出ている。おかしい。ハルは9時5分に到着しているのに清一の名前がない。役員に聞いてみると、蓮見についての情報はないという。がっかりしながらぶらぶらしていると、干し草の山に座っている女性が手招きをする。なんだろうと近づいてみると、先ずは座って、ゆっくりと情報を待ったほうがいいと言う。それもそうだ。彼女と話し始めるとTevis指定のカメラマンだ。「昨年もずいぶんたくさん写真を購入してもらって、ありがとう。今度はShining Moonの大会の写真を撮りたい」と言う。「今年は蓮見さんがスインギング・ブリッジで馬に乗って渡っていて、橋の下には多くのライダーが降りて、馬に水を飲ませている素敵な写真が撮れている」「では、その写真は絶対に購入するから連絡をしてください。」といったおしゃべりをしながら、彼女の写した写真を見る。
 そうこうしているうちに、ゴール地点に行って、到着時の獣医検査の様子を見に行こうとの話になって、ゴール地点に行く。早い時間なので、人出も閑散としている。午前3-4時ごろが、一番混み合う時間だ。ゴール地点の先に馬の水飲み用の小さな作り付けの池があり、そのヘリに座って、待つ。待つ。コマンチ・ムーンが満月ではない。3-4日満月からずれている。7月の満月の土曜日の設定となると致し方ないことだ。今年は、珍しく大会が8月になったと思っていたら、この満月の問題だったのだ。2,3,4位の人たちが徐々に入ってくる。すでに失権してしまったと放送のあったダントツリードの1位の人と、その後の3人組が大きくリードしていた。3人組のトップは、結果1位となったサラ・エンズバーグという女性ライダーだ。彼女が午後10時20分にゴール。この人に関しては詳しい情報を持っていない。2位がCA州のメリッサ・リブリー獣医だ。おなじみの人だ。ご主人のロバートといつも一緒に走っているか、CA州の大会の獣医を勤めている。やはり拍手が多い。ロバートは、ラバに騎乗している姿が印象的で、ワイルド・ウエストの大会以来なんとなく交友もあり、親しくしている。2位のリブリーと3位の地元のマーシャ・スミスという女性のゴールタイムが、10時31分と32分だ。清一の目標カードに記したタイムだ。この後が来ない。清一も来ないし、他のライダーも来ない。
インターネット情報によれば、清一はフランシスコを出て川渡りをしているとのことだ。しかもハルはLower Quarryで失権してしまったそうだ。なんということだ。情報もライダーもないまま1時間以上がたつ。思わず、日本に電話をする。ランチに電話をして、インターネット情報を集めてほしいと頼む。「リバー・クロッシング」の最中だそうだ。ここでの最新情報と変わらない。11時41分に3頭がまとまって入ってくる。
ノー・ハンズ・ブリッジまで行ったほかのライダーのクルーの人たちが情報を持ってくる。ジェレミーか彼の双子の弟(へザーがいないから弟だと思う。ついでながらディフェンディング・チャンピオンのジェレミーもジョン・クレンドルも今回は出場していない。ジェレミーの奥さんのへザーも出場していない。これには、世界選手権を目指す馬はTevis Cup出場はしないようにとの要請が監督のベッキー・ハートから出ているとの情報があった。)からの情報が、「蓮見さんは僕らのライダーから30-40分遅れてくる。『ムスターシュのあるクロケット』と一緒に来る。」だった。「ムスターシュのあるクロケット」???クロケットってなんだ?デビー・クロケットだ!ということはカウボーイ・ハットだ。そしてムスターシュ????ということはポテトと一緒だ。ハルと離れて、ポテトと一緒にいる??そばにいた人に聞いてみる。「ポテトはカウボーイ・ハットをかぶっていた?」「かぶっていましたよ」との返事。後で分かったのは、クロケットという名前のライダーが実際にいてムスターシュをはやしていた。といった、受け手の問題による情報の混乱だ。
Lower Quarryで失権したライダーが多いようだ。少しずつ情報が集まってくる。
このあたりで清一の順位が気になってくる。何とかベストテンに入れれば、Tevis Cupのベスコンであるハギンズ・カップの対象になることができる。
12時58分2頭が来て、ここまでに9頭が入っていた。この後にジェレミーのクルーをしているライダーとポテトと清一となると、この3頭の集団で来るとカメオ・清一組のベストテンは難しい。ところが、すでにゴールした人馬が一組失権したと教えてくれた人がいる。まだ、ベストテンで入ってくる可能性・希望がある―――と考えていた。どこまでも楽観的で希望的観測をする私だ。
午前1時35分に3人馬の女性ライダーチーム、2時に同じように3人馬の女性ライダーチームがゴール。もう来るころだ、もう来るころだと思い続けていると、一人の女性が2時22分に入り、清一が漸くやってきた。午前2時29分。順位は15位(今までで、最高の順位だ。)、そして6回連続完走を達成した。
下馬するのが大変なほど疲れている。完走してきたカメオ・清一を見ると皆大喜びだ。アンが指揮して、早速、獣医検査に連れてゆく。新しくできた検査場の場所は、狭い、古い木橋を渡ってゆく。この木橋の下の小さな小川の周りにコンクリートを塗りこめて、変な雰囲気の川になっている。大会関係者は、これをカナルと説明している。獣医検査のクルーの居場所にオフィシャルが神経質になっていて、回り道をして、カメオの獣医検査を見る。あっという間に終わってしまった。これで正式に6回連続完走だ。獣医検査の後、フォレスト・ヒルを出た後の様子を清一に聞いてみると、エネルギー切れと疲労が大変だったようだ。彼は減量と禁酒により、体内に余分なカロリーも栄養分も残っていないのだ。クルーとして、これからも、カロリー補填をよく研究しなければいけない。
さあ、ウイニング・ランのために、ステージング・アリーナに戻ろう。
再騎乗する元気は十分残っているようで、元気に出て行った。
フォレスト・ヒルからゴールまでの32マイル(51.2km)を6時間16分の夜間走行。気を失いそうになる空腹と疲労を克服して、我慢強く、アメリカンリバーでの渡河も問題なく、カメオに傷もなく慎重に完走してきたこの忍耐強さと冷静な判断力に感嘆するしかない、本当に賞賛に値する6回連続完走、15位だ。
データを分析すると、スタート地点からラスト・チャンスまでの50マイルをカメオ・清一組は強制休止時間を除いて、6時間13分というスピードで走っている。アップ・ダウンの激しいトレイルで、瓦礫、砂礫の山での走行タイムがFEI公認のCEIの80kmでも十分に匹敵するタイムだ。そして、残りの50マイルの走行時間が、12時間11分だ。これを実現させたカメオの素晴らしさ、カメオを静かにコントロールし、完走させたライダーの忍耐力とのコンビネーションの勝利だ。

エレファント・トランク付近のカメオと蓮見 プロが撮影したスインギング・ブリッジをカメオに騎乗して渡る蓮見 ふらふらの状態でゴールをした蓮見
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受領したシルバーバックルと黄色のカーネーション 打ち上げ(ハル・ホール一家と斉藤獣医、日本人の応援・アシスト部隊)
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2010年4月26日付「「遥かなるテヴィス」DVDのご案内」

このDVDは、2009年のTevis Cupの模様を携帯で撮影した映像にTevis Cup大会連続完走6回を達成した蓮見清一選手のインタビューを収録し、コースの模様を十分ご理解いただけるようにコース説明の図解を取り入れたTevis Cupの記録映像です。

コースの雰囲気などが未経験者の方々にも十分ご理解いただけるように作成されています。
エンデュランスに興味のある方、又、Tevis Cupに一度は挑戦してみたいと考えておられる方々にごらんいただければと思います。
2010年8月9日付「7の7完走」

TEVIS CUPの報告が遅くなりまして、7月10日、11日の世界選手権の資格取得の最後の機会となる照月湖CEIの大会の後、2週間後がTEVIS CUPの大会でした。この強行スケジュールがやれるだろうかと一抹の不安を持ちながら、スケジュールを組んでいました。幸か不幸か、蓮見自身は照月湖CEI3*の挑戦は、彼が騎乗した馬が第1レグで、は行失権してしまいました。風邪気味で体調がよくない状態で、現地に到着し、実際にTEVISのトレイルに降り立った蓮見は、実感したようです。2週間前の大会で、体力を残せる結果だったのがよかった。「やはり、『二兎を追う』のは難しい。自分にはTEVISが似合っている」と。

昨年の低血糖状態と風邪を克服すべく、しっかりと栄養を取りスタートした蓮見は、今年初めに購入し、なかなか騎乗するチャンスがなく、今回初めて騎乗するゾルタンで出発した。ゾルタンは今まで騎乗していたカメオと母親が同じハーフ兄弟で、カメオとは性格がずいぶん違うようです。とにかくおとなしい性格でとの説明がつき、トレイルにいても他の馬に対して興奮したり、前に馬がいると抜きたいと大騒ぎするといったカメオの気質とは正反対のようです。これは、体調のよくない蓮見が騎乗するにはもってこいの馬です。皆様ご存知のように、TEVIS CUPはスタートしてしまうと、全行程の68%に当たるForest Hillの強制休止ポイントまで私はライダーに会うことができません。Forest Hillでは、電波の調子が悪く情報は大変不足し、混乱しています。お昼過ぎに蓮見はLast Chanceで失権になったという情報がホワイト・ボードに書かれていた。おかしいと思い、インターネットに接続している人に聞いてみると、「Last Chanceの先Dead Woodを3時3分には出発しているから、大丈夫、そんなことはない」。
Forest Hillに到着した蓮見の体調の悪さは、風邪くらいぶっ飛ばせるから大丈夫と考えていた我々の想像を超えるものだった。7時27分に17位でForest Hillを出発した蓮見は、この事実からしても確かに去年よりは体調が悪そうだ。蓮見よりも先に出発したハルの馬は体調がよくなさそうだし、先行きが心配だ。フランシスコでは、出発がハルとジェレミー・レイノルズの双子の弟で今回TEVIS初出場のティムと一緒になっている。ここまでが、異常な時間のかかり方だ。後で聞けば、ハルの馬の足の具合が悪く、何とか持ちこたえさせるために、常足ペースだったようだ。ティムは完走を目指して、そのペースに合わせ、蓮見は、付き合わなければ致し方なかったようだ。
でも、とても体調が悪くても完走できたという事実は大きい。フィニッシュ・ラインに到着した清一の顔は真っ青というより真っ白で、体調が悪いのは一目瞭然だ。獣医検査を無事終了し、ステージング・アリーナに到着した清一は再び馬の上に乗ることができるかと心配だったが、ウィニング・ランではなく、ウィニング・ウォークを行い、7回目で初めて、二人の記念に写真を撮ってもらった。このゾルタンの余裕振りを見てください。100マイルを走り終えた馬です。
いろいろとあり、この馬は、9月には日本にやってきます。今後、蓮見とともに、照月湖の大会でCoC取得を目指すことになると思います。

今年のTEVIS CUPのニュースは、ジョン・クレンドル氏とヘラルディック号の復活です。
2006年TEVIS CUPとHAGGINS CUP、2007年2位でHAGGINS CUP受賞のコンビ。突然、現れた東部のライダーと馬は、世界選手権も目指し、マレーシアでのプレライドで親しくなり、お付き合いをさせていただいています。2008年山火事でTEVIS CUPが中止になった年、蓮見は騎乗予定のカメオの体調も芳しくなく騎乗する馬がなかったので、クレンドル氏の母親所有の馬を借りることになっていました。でも、山火事で中止。それ以降、クレンドル氏とヘラルディックはエンデュランスの世界から姿を消してしまいました。たまたま、大会前々日にゾルタンの試乗をしていたとき、クレンドルとヘラルディックに会いました。ヘラルディックは後ろ右足の筋肉(?)を断裂し、長い治療期間だったそうです。根気よく治療するその姿勢に本当に感心し、われわれの姿勢に通じるものを感じます。

今年のHAGGINS CUP受賞は8位のFuryという馬です。到着時間が2時間10分以上開いていますから、よほど体調がよかったのでしょう。
もうひとつ、特筆すべきことは、トップテンにポニーが入ったことです。ステージング・アリーナで大声で騒いでいたので、大変印象的でした。暑さ対策を何とかすれば、ドサンコ・ポニーもTEVIS CUPを完走できるでしょう。

Forest Hillでの獣医検査風景。 Forest Hillでのスタート待ち時間。 18時20分ではありません。満月のコマンチ・ムーンです。
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ウィニング・ランでの待機。 ウィニング・ラン 完走記念写真
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日本へのCEI導入を助けてくれたSteph Teeterさん。エンデュランス・ネットの主催者です。 9個目のTEVISバックルを獲得した日本でもおなじみの役員コニー・クリーチさん。 完走なったHAL Hall氏
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7個目のバックルを受け取る蓮見 結構カメラマンが集まります。 TEVIS CUPのヘラルディックとクレンドル氏。
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燕麦がおいしそう!! 左から2番目がHaggins Cup受賞のFury。ブルーのシャツを着たライダーの名前はクロケット氏。この風貌とファッションで「デビー、デビー・クロケット」という歌を思い出してしまいます。クロケット氏の左の小さな馬がベストテンに入ったポニー。
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2011年7月25日付「テヴィス・カップ・ライドは10月8日に延期されました」

2011年7月18日付けの記事で、以下の発表がありました。

2011年の雪がトレイルの多くの場所で消え残っているため、理事会は、2011年のテヴィス・ライドの開催日を2011年10月8日に変更することを決定した。トレイルの多くの場所に記録的な積雪が依然として残っており、さらに、春の気温が例年より低いため、雪が融ける可能性もない。7月15〜17日に週末のエデュケーショナル・ライドが開催された折には、標高6800フィートのロビンソン・フラットにはアクセスできなかった。アメリカ川のミドル・フォーク川は、通常の6月半ばの約2倍の川幅があった。アメリカ川のミドル・フォーク川にあるオックスボウ湖では、ゲートが大きく開き、なすすべもなく、あふれ出た洪水の水が余水路を覆っていた。テヴィスのスタートから88マイルにある渡河地点ポヴァティ・バーでは、水が深く、足場が不安定だという。

「今年は、例にない深い雪だ」WSTFのキャシー・ペリー理事長は報告した。「ライダーと馬の安全のため、テヴィス・ライドの日程を10月8日に変更した。この延期によって、ライダーは、馬をライドへの挑戦に備えさせる時間を得た。歴史あるすばらしいトレイルを経験することができる。」

ペリーの言葉によれば、7月15〜17日に開催されたエデュケーショナル・ライドでは、52人のライダーがトレイルの一部を走り、成功裡のうちに終了した。エンデュランス獣医その他の参加者は、サドル・フィッティングやトレイル、ホースマンシップに関して意見交換をおこなった。「今年、このトレイルはフォレスト・ヒルのベースキャンプからホワイト・オーク・ヒルまでの往復で、初日は33マイル、2日目は20マイルだった。」とペリー入った。「我々はキャニオンの一つに分け入り、ライダーたちにテヴィスがどのようなものかを見せた。」
2011年10月のテヴィスWSTライドは、200人を超えるライダーの申し込みを得ている。

2011年10月8日のテヴィス・ライドについての詳細は、サイトwww.TevisCup.orgを見てほしい。または オフィスに電話してほしい。番号は530.823.7282.
2011年10月20日付「8の8と2の2」

うれしいお知らせです。今年のTEVIS CUP挑戦の日本人二人はアラビアン・ホース・ランチの二人で、タイトルどおり、蓮見清一は8回挑戦して8回完走、北池ひろみは2回挑戦して2回完走です。

今年の世界的な異常気象の影響で、出発地点近辺に積雪が残っているため、夏の満月の一夜ではなく10月まで延期されていた。皮肉なことに、雪のために延期したのに、大会直前になって今までにない寒波と降雪の影響でコース変更を余儀なくされた。出発地点のロビーパークの降雪プラス積雪と凍ったトレイルに関して度重なる協議が行われ、大会前々日に、出発地点の変更が発表された。出発地点をゴール地点のオーバーンにして、フォレスト・ヒルの先チキン・フォークからゴーマン・ランチ・ロードで折り返すコースが発表され、トラベル型であったコースがフォレスト・ヒルの先で折り返すコースとなり、ライダーを追いかけて移動していたクルーにとっては、ずいぶん楽なコースとなった。

金曜日の獣医検査は今まではウイニング・ランに使われていたゴール地点のマッキャン・スタジアムで行われた。獣医さんたちがミーティングを終えて記念撮影をしていたので、私も勝手にカメラマンとして参加し、撮影(写真1)。獣医検査を終え、パス後、ほっと安心の馬のオーナー、ティンカーさんと蓮見(写真2)。

大会はゴール地点から別道を辿ってノー・ハンズ・ブリッジでトレイルに合流するルートからスタート。今年の画期的な出来事としては、アメリカ川横断(リバー・クロッシング)が朝のうちになるので、写真があることです。
蓮見の川渡りの写真(写真3の1〜6)と北池の川渡りの写真(写真4の1〜6)です。どちらもプロのカメラマンが撮影したものです。比較してわかるのは、北池の渡った地点のほうが深いようで、馬の胸あたりまで水に浸かっています。夜は、渡るべき地点にロープにつけたグロースティックが光っているようですが、朝のうちは目印がないので、北池さんはより深い地点で川渡りをしてしまったようです。
川渡りを終えて二人とも元気な様子で、フォレスト・ヒルに向かって進んでゆきます。(写真5と写真6)。
一方フォレスト・ヒルでは従来どおり白板に進行状況が掲示されています。(写真7)これによると、蓮見は9位でフォレスト・ヒルに入ってくるようです。トップから蓮見までの入ってくる状況をビデオでご覧ください。(動画1)この後、蓮見の騎乗した馬ラッキーの心拍の落ち方が極端に悪く、蓮見は困惑してしまいます。クルーイングの仕方も馬のオーナーと意見が合わず、結果的に9位だった順位が強制休止時間後に出発したときの順位が15位と我々では考えられない結果になってしまいました。今までは、10位で入ってきても、クルーイングの手際のよさで7位くらいまで順位を上げてきたにもかかわらず、こうした結果です。ここで蓮見は、ベスト5に入ろうとの考え方を変えて、完走に照準を当てる、ことに方針を転換しました。
フォレスト・ヒルでは、獣医検査を受ける馬が多すぎ、大混乱となっていました。その様子はビデオでごらんいただけます。(動画2)獣医さんが照月湖の大会でもおなじみのトムリンソン獣医です。茶目っ気たっぷりの彼が“OK, you must go!”と言ってくれたのが印象的な言葉でした。

フォレスト・ヒルを出発してチキン・フォークからゴーマン・ランチ・ロードを折り返して、再びチキン・フォークに行き、ここでゲート・アンド・ゴーの検査です。ここでも心拍の落ちが悪く、いくら水をかけてもなかなか心拍が落ちないといった状態だったので、この後、15分間馬を休養させたそうです。 同じころ検査を受けたライダーからの情報で、もうすぐ来るはずだと知らされ、いくら待っても来ないので「もしや、コースアウトか」と心配していたら、きちんと戻ってきました(動画3)。ここで、15分馬に休息を与えたことは次につながる重要な判断だったと思います。

完走狙いの蓮見は、かなり後から再スタートを切るハル・ホールと待ち合わせるべくゆっくりとゆくことを約束しまだ明るい午後4時22分に再スタートを切りました。(動画4、フォレスト・ヒルからの2回目の出発風景)

午後11時15分マッキャン・スタジアムに帰ってきました(動画5)。ハルは元気に速足で周囲を回っています。一方蓮見はスタジアム入り口で下を見て本当にゆっくりとしています。心拍計を見ています。ウイニング・ランの最中も気持ちはすべて心拍計に集中していることがわかります。これは、ゴール後の獣医検査の規定時間内に心拍が落ちるかどうかを気にしているようです。困ったことに、ラッキーははじめてのTEVISですから疲れているのはわかるのですが、長い時間常足でも心拍が落ちないといった不思議な症状を示していたようです。制限時間を目いっぱい使って心拍を落とし、最終獣医検査に臨みました(動画6)。
クルーとして日本の大会でもおなじみのテレサ・クロスが付き添っています。彼女はオーナーのティンカーさんの友人のようですし、照月湖の大会のファンですから、当然かもしれません。ここでウイニング・ランの蓮見ライダーの写真(写真8)と北池ライダーの写真(写真9)を紹介します。北池ライダーの浮かない顔は、まだこれから最終獣医検査があるのに、ウイニング・ランなんかしたくない、と考えていたそうです。本当にごもっともです。二人は、最終獣医検査もパスしましたが、ここで落ちた人馬が数多くいました。たとえば、蓮見はゴールしたときは38位でしたが、最終順位は32位です。おなじみのライダーがパスできませんでした。カメオの元オーナーのポテトも然りです。
完走が本当にうれしそうなハル・ホールと蓮見清一のビデオです。(動画7
蓮見の8回挑戦8回完走(8の8)の理由は、最初にフォレスト・ヒルに入ってきて、馬の心拍の落ちが悪いことを実感したとき、トップ・ファイブを狙わずに初めてTEVISに挑戦する馬を完走させてやろうと方針を変更したことが完走の大きな要因につながっています。やはり、戦略的に考えなければ、この完走はなかったでしょう。

翌日の表彰式の模様です。今年は、WSTFの本部も資金集めに奔走したようで、ずいぶんにぎやかな表彰式でした。
まずはトレイル保存の寄付をした人々に感謝状の贈呈式。その後、TEVISバックル10個獲得者の表彰。3人の該当者がいて、最初の一人がコニー・クリーチです。コニーは照月湖の大会役員で、皆様おなじみの方です。しかも、今回は昔ながらの知り合いの北池さんと同行して、二人とも完走しました。(写真10の1〜2)
次はジュニア・ライダーの育成に貢献しているロクサーヌ夫人のジュニアの完走者の紹介。(写真11の1〜2)
続いてインターナショナル・ライダーの紹介です。言ってみれば海外のライダーの紹介ですね。カナダ人も含まれているから不思議な感じです。日本人が二人、アラブ人が4〜5名と、今年はアラブ人がずいぶん多かったです。(写真12の1〜2)

漸く完走したライダーへのバックル贈呈が始まります。今年は完走率が65%と高く、123名が完走。このため恒例の黄色のカーネーションの本数が足りなく、女性ライダーだけに進呈となりました。
バックルを受け取る北池ライダー(写真13)
バックルを受け取る蓮見ライダーとハル・ホール(写真14の1〜2)
尚、蓮見は8回挑戦して8回完走。これはバーバラ・ホワイトさんが持つ10回連続完走に続く記録です。もちろん、蓮見は10回連続完走を目指していますが、ハル・ホールは今回のバックル獲得が28個目ですので、蓮見の10回連続完走と、ハルのバックル30個獲得の年が同じになるだろう、来年の完走はもちろん、再来年を二人にとって記念となる完走を目指して頑張ろうということになりました。

このあと、トップテンの人馬の入場と紹介です。最後に優勝したジェレミー・アーノルズと馬のリバー・ワッチ(愛称マーベル)です。(写真15)ジェレミーは3回優勝ですから、強いです。ジェレミーの奥さんのヘザーは、アラブ人を案内し完走させています。
マーベルがハギンズ・カップを獲得。ジェレミーは本当にうれしそうです。今まで、ハギンズ・カップはなかなか受賞できませんでしたから(動画8

授賞式終了後、早速バックルをつけた北池ライダーとお友達です。(写真16)


番号の後にMがついたのは、ビデオ映像です。右側のAHR動画に紹介してありますので、ご参照ください。

最後に付記しておきたいことがあります。
北池さんの2回のTEVIS挑戦は、すべて彼女一人の努力と人的ルートで行っています。
特に、今回については、同じランチからの出場ですので、蓮見に馬を紹介してもらったと誤解されている方がおられるようで、訂正したいと思いここに付記します。
彼女は初回にTEVIS挑戦をした馬を、また今回もお借りして、早めに渡米し、自ら調教、状態の判断・ケアーを行い、馬運までも自ら行っていますことをここにお知らせします。



写真1:獣医さんたちの記念写真(中央はジェイミー・カー獣医) 写真2:ラッキーのオーナーのティンカーさんと蓮見 写真3の1:蓮見の川渡り
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写真3の2:蓮見の川渡り 写真3の3:蓮見の川渡り 写真3の4:蓮見の川渡り
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写真3の5:蓮見の川渡り 写真3の6:蓮見の川渡り 写真4の1:北池の川渡り
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写真4の2:北池の川渡り 写真4の3:北池の川渡り 写真4の4:北池の川渡り
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写真5:走行中の蓮見 写真6:走行中の北池 写真7:フォレスト・ヒルの掲示板(25番が蓮見のライダー番号です)
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写真8:蓮見のフィニッシュ風景 写真9:北池のフィニッシュ風景 写真10の1:10個のバックル獲得のコニー・クリーチ。金髪の女性がバーバラ・ホワイトさん。彼女のバックル獲得数は31個。
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写真10の2:10個のバックル獲得のコニー・クリーチ。金髪の女性がバーバラ・ホワイトさん。彼女のバックル獲得数は31個。 写真11の1:ジュニア・ライダー育成のロクサーヌ夫人と完走したジュニア・ライダー。 写真11の2:ジュニア・ライダー育成のロクサーヌ夫人と完走したジュニア・ライダー。
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写真12の1:海外のライダー紹介。 写真12の2:海外のライダー紹介。 写真13:バックルを受け取る北池ライダー
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写真14の1:バックルを受け取る蓮見ライダー 写真14の2:バックルを受け取るハル・ホール・ライダー 写真15:優勝のジェレミーとリバー・ワッチ
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写真16:バックルをつけた北池ライダーとお友達
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