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アラビアンホースたちの横顔
アティナ Atina De Soi
到着した年、北軽井沢で
成田検疫所のアティナ
到着直後、3頭が不安そうに相談している
全日本2004のスタート風景
純血アラブ種でアメリカのネバダ州出身、誕生日は1992年5月15日、現在16歳の雌、葦毛。ホワイトに近い葦毛で、鬣、尾も純白の美しさ。15,1ハンドの大きさで、日本人にとっても騎乗しやすいサイズ。
アティナの母馬は、長らくホール家にいたアマンダ、父親がEDYKT。1980年生まれのEDYKTは葦毛で、1987年から1990年にかけて多くの国際大会、世界大会でスタリオン(種馬)のチャンピオンとなっている。典型的なアラブ種の顔をした美しい馬である。そして母馬アマンダの父親はEL PASOという鹿毛である。EL PASOは、純血アラブ種のブリーディングに何百年の歳月をかけて貢献してきたポーランドでも、もっとも由緒正しき血統の生まれで、ヨーロッパ、世界の多くの大会でスタリオンチャンピオンとして、名声を博している。1981年、熱心なアマンド・ハマー博士の要請の結果、EL PASOはアメリカに渡った。アマンダは、このEL PASOの娘で、名前はハマー博士にちなんでつけられている。完璧ともいえる葦毛の両親から生まれたアティナは、EL PASOの孫である。
AERC公認のエンデュランスレースで2,415マイルを走破した公式記録を持つ大ベテランである。エンデュランスレース48レースに出場し完走44回、うち1回はベストコンディション賞を(50マイルレースで)受賞した。その内訳は、50マイルのレースで34回完走(34出場のうち34回完走)、60マイルのレースで完走(1回出場のうち1回完走)、75マイルのレースで4回完走(4回出場のうち4回完走)、100マイルのレースで5回完走(9回出場のうち5回完走)、である。

2003年6月日本にやってくる。来日当時から、アラビアン・ホース・ランチのボスであり、順次到着する新馬との権力闘争にも静かに勝利、ボスの位置をキープし続ける。アティナたちの後に到着した馬にとっては、日本の情報源であり、安心できる材料となっている。アティナのおかげで、その後の新馬の現地への定着の早さは素晴らしいものがある。種馬が到着したときもしかりである。落ち着かない種馬に話しかけ、見事に落ち着かせてしまった。
日本での競技生活は、2003年11月9日<第2回エンデュランス JAPANカップIN八ヶ岳> の80kmに出走。蓮見清一が騎乗し、走行時間は7時間11分、時速11.1km。2位。<全日本エンデュランス馬術大会2004>に2004年9月25日、26日に参加、同じく蓮見騎乗、 トータル120kmを初日80km、二日目40km走行、総走行時間8時間49分、3位となる。尚、1位から3位までその時間差は1分以内であった。優勝は当ランチのマキナであり、常に精神的にタフで闘争心の高いアティナがマキナを引っ張ってきた成果は大きい。その後は、照月湖定例会のガイド兼スウイパーを乗せ、安定した騎乗の見本を見せる。又、初心者をライダーとして迎えたときには、歩様・スピードの選択などの面で、リーダーシップを発揮することもある。
昨年の照月湖160kmCEI☆☆☆160kmエンデュランス大会に、懐かしいアン・ホールとともに出場。アンの顔を見たとたんに嬉しそうな表情を見せる。アンの慎重な試合運びに従順に従い、2位で完走。

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